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バーナード・バトラー(''Bernard Butler''、1970年5月1日 - )は、イギリス・ロンドン出身のギタリスト、音楽プロデューサー。2008年、プロデュース業に専念することを表明。翌年、ブリット・アウォーズにてプロデューサー・オブ・ザ・イヤーを受賞。日本国内では岩瀬敬吾(元19)の楽曲をプロデュースしている。 == 来歴 == 1992年、スウェードのギタリストとしてデビュー。ブレット・アンダーソンと共に曲を作り、瞬く間にイギリスポップシーンでの成功を掴む。彼は全ての楽曲で作曲を担当し、ギターを弾いた。デビューアルバム『スウェード』はマーキュリー・ミュージック・プライズを受賞した。しかし他メンバーやプロデューサーとの確執により2ndアルバム『ドッグ・マン・スター』完成直前の1994年に脱退してしまう。 1994年、バトラーはデヴィッド・マッカルモントとマッカルモント&バトラーを結成。『イエス』、『ユー・ドゥ』の2枚のシングル盤をリリース。解散後にはこれらの編集盤『サウンド・オブ・マッカルモント&バトラー』がリリースされた。その後、クリエイション・レコーズから『ピープル・ムーブ・オン』、『フレンズ・アンド・ラヴァーズ』と2枚のソロアルバムをリリース。『ステイ』などのヒット・シングルが生まれた。2001年にはデビッド・マッカルモントと和解し、再びマッカルモント&バトラーとしてアルバム『ブリング・イット・バック』をリリースし、『フォーリング』、『ブリング・イット・バック』の2枚のシングルをカット、UKツアーを行った。 2002年、リバティーンズの『リバティーンズ宣言』収録の両A面シングル「ホワット・ア・ウェイスター/アイ・ゲット・ アロング」をプロデュースする。 2004年にはブレット・アンダーソンと和解。新バンド、ザ・ティアーズを結成し、2005年にバトラー自身のプロデュースによるアルバム『ヒア・カムス・ザ・ティアーズ』をリリースした。全英シングルチャート9位を記録した『リフュジーズ』、『ラヴァーズ』のシングル曲が収録されている。 2005年、バトラーはウェールズ人女性歌手ダフィーを紹介され、2008年に彼女のデビュー・アルバム『ロックフェリー』でタイトル曲を含む4曲を共作、プロデュースした。アルバムセールスは500万枚を数え、グラミー賞では3部門でノミネートされた。同年、表舞台から身を引き、プロデューサー業に専念することを表明した〔Bernard Butler retires from performing 、musicradar.com、2008年3月23日〕。 そして2009年、プロデューサーとしての成功により、ブリット・アウォーズ、プロデューサー・オブ・ザ・イヤーを受賞した〔イーノ、バトラーらUKプロデューサー・アワーズを受賞 、BARKS、2009年2月16日〕。 愛用しているチェリーレッドのギブソン・ES-355TDSVはジョニー・マーへの憧れから使い始めたもので、アームプレイを多用したスタイルと共に彼の代名詞となっている〔"Return of the axe" .、ガーディアン、2006年8月25日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「バーナード・バトラー」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Bernard Butler 」があります。 スポンサード リンク
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